ADHD/ASD症状管理と、ダイエットの自己管理って、ストレスの湧き方が似てるなぁーっと最近思ってきてる。
私はこの通り身体がむくんで体重増えてパ二クっていた夏の終わりの頃、FODMAPを始め、PFC、アミノ酸スコア、今でも手に負えない用語を追って、溺れていたけれども、
ADHD/ASD症状の管理も、ちゃんと集めると溺れるほど情報があって、そこから、
・家族から独立しても自分で自分の生活を確立して回していくこと。と、
・収入も確保するために社会に適切に組み込まれて『永遠の『宿題』の提出』を目指すための、ゴールがあるようで無い自己努力をすること。
を成立させるために私だって例外じゃなく、必要な情報を選択して、覚えて、工夫して、なかば溺れながらでも実行していかなくてはならない。
その、日々のビクビク加減というか、なにか警戒することがいっぱいあって、
たとえば、油断したらあのお店の美味しそうなチャーハンを一人前食べてしまいたくならないかな、そして寝てしまいたくならないかな、
などは自分で自分をモニターして気を付けてしまうし、
自炊範囲が増えて、台所を片付けているうちに出勤目標時間に遅れないかなとか、
このビニール包装をこのままここに置き続けることが堕落の一歩なのかなとか、捨てるのを諦めて出勤できなければ『永遠の『宿題』の提出』に負けるのかなとか、
前にトレーニングルームに行ったのは何日前だったかな、筋肉痛はどこにどのくらい残っているかな、それとも筋肉痛は引いたかなとか、
今日は身体使う日かな、プロテイン飲もうかな、休もうかな、ドラッグストアのあのカフェラテプロテイン美味しそうだけどまだ売れてないかな、今ある袋から飲んでしまわないと置き場所無くなるよねとか、
雑穀もち麦入りご飯のストックはどこに何回分残っているかな、次を炊くのは何日かな、炊く『脳』のエネルギーが残っている日かなとか。
SNSもそう。ここも、ミックスリストも、何人見てくれてるのかな~の空想だけだとなにも生まない。書かないとなにも表明できない。そして一定時間は寝ないと翌日の私が使い物にならなくなる。
日々、ビクついて警戒することが、どっちの分野からも出て来てる。
これだけのしたいことを、試せるだけのスーパーの食材があるし、トレーニングルームにも恵まれている。
でも、
これは決して、自己肯定とか、落ち着きとかまったりとか、幸福感に満たされる日々にはならない。私たちの人生、そんな簡単じゃない。
簡単じゃないと私たちは理解記憶できないけれど、簡単にはならない。
もうどこからも支援は要らないし、病院も要らないし、『発達障害』の知識がある人からの客観的なアドバイスも評価も要らないよー『発達障害』卒業するよー
には絶対ならない。
私たちは、65歳以上まで社会に拘束され、関わり合いになり、割って入り、騒ぎを起こし続けてしまう国に生きなきゃならなくなってしまったのだから
サラリーマンを30年近く続けてきて。
地の果ての地方にいたころは、若者が多く、若者たちは1日中力の限り、業務連絡も雑談もして、余裕があれば飲食店に食べに行って続きをしゃべってきた。
そのペースに、内容に、付いていけない私は落ちこぼれた。荒れた。
転勤するにつれて、年配者の割合が増えていった。退職前の働き方と、勤務の姿勢と、準備と、みんなに祝われ感謝される退職の一連の姿を見せてくださったベテラン勢もいらっしゃった。
年配者の割合が増えるとトータルして、というか平均的に、雑談が減っていき、会話の内容が洗練されていった。
今は、女性勢は元気なので業務連絡も雑談も力の限りしゃべり続け、でも子育ても主婦業も介護にも追われ、こなし、
男性勢は、日によっては ❝通夜❞ 状態で静まっている。でも決して不健康ではなく、ストイックで、お弁当を一人で食べて(だから中身は見えたこと無い。)体を鍛えて歳に負けず本当に痩せる結果を出している尊敬の人も。
でも、そんな一般の普通の人たちを、
輪から外れたところから私は見てきた。合わせてきた。
そんな宿命を背負って長い、長い労働年齢を生きるとは思ってもいなかった💢
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ラベル:夢、映画、雑談