2024年06月22日

『長い前振り』『『永遠の『宿題』の提出』が適用されないお相手・子ども。しかし』 紫色と黒色の字

むかしむかし、もう発達障害を知った後、20年ほど前。

当事者の方のあるブログで、『一般化』の言い方書き方について、なんとか伝えよう、なんとか伝えよう、どう表現したら伝わるのか???
と、かなり必死で試行錯誤してくださっていた所がありました。

例文、私が忘れました。

た と え ば 、
「ねえねえ聞いて。ダンナに「~~~~」って言われたの ⚫ねばいいのに 」
と、
「男性ってどうして話を全部聞かないままに結論から言うことを良かれと思い込んでるのかしらね?」

の言い方なら、

他人の立場ならどっちが聞きやすい? 会話しやすい?……

……な感じの、テーマでした。


今もですが、当時から当事者たちは、なにか訴えたいとき、発達障害を自覚する前は、自分目線から、主観の強い訴え方をしがちなことで、

悩みを訴えても打ち切られてしまいがち、伝わらないがち、それでくじけて、抱え込んだり、『荒らし』さんになったりしがちなところがありました。

私も例外じゃなく、とくにパニック状態なときや、身体の痛みや不調で、思考が追いつめられているときは主観的どころか一体なに言いたいのかも意味不明になって生きてきました。
だから ❝整理❞ から手伝ってくれる助けが必要なのです。

だから私たちのような者を助けてくれる人たちは、いったん自分のしていることの手を止めて、頭を全部当事者を察することに使う。一から事情を話させて、指示を出す手順を踏むので、話し合いが長く、長く、長ーくなりがちです。果てはカサンドラになるなどして病みます。

だから当事者たちは孤立していったり、めでたくパートナーができてもお別れになったり、心身がおかしくなって泣いてすがりに行ったお医者は「お薬は処方停止になりました」など言って5分で終わるものだったし、それで親などにしか助けを求められなくなっていきがちでした。

親は子より早くいなくなるものなのも、20数年前から私の接した当事者たちは全員分かっていました。

困るんだから、だから議論していました。

議論が途中で中断されることが増えると、当事者の悩みを真面目に話し合いたい人が、嫌気がさして疲れて離れてしまいます。『荒らし』さんが入ってこようとします。
悩んでいた人間みんなが、損害をこうむります。困ります。

どうにかしよう と、たぶんそんな動機でブログを立ち上げ書いてくださっていたのではなかったでしょうか。



結局、私はコメントできませんでした。「応援」の意思表示もできませんでした。

どうしてできなかったんだろう? 

コメント望まれていたのに、どうしてできなかったんだろう?

この振り返りというか、当時からしてきた分析が、今にいくらか生きています。


ブログ主の方は、善意からでしたが、質疑応答を望んでいらっしゃいました。

訪問者数も挙げて、「って読んでる人がこれだけいるなら、コメントもしてもらいたい。」とも書かれたこともあって、

当時、まだまだ言語化力 が足りず、自分で自分を言語化 することにすらも生意気に思われそうな気がして『遠慮』をしていた私は、
怖がりながらも考え込んでいました

ま、「やーいRSD❗」と言われたらそれまでの話なんですけど。

怖がりながら考え込む。私たちのおなじみ、ブレーキとアクセルですね💨💨💨


コメントには、個人的なことを長々と書く、慰められたくて、何回も何回も何回も書く、ということをしている自閉タイプが住み着いていました。

たぶん『主観で言ってしまってるよ。それは違うよ』の指摘 ➡ 『可哀想なボクの話に反応してくれる人』に変換され……?

おそらく理解力が『いつまでも話を分かって慰めてくれる人』と『追い出すひどい人』の二つ分の区別で終わりであったようで、

個人的な記憶の反すうの慰めがまだまだ足りない ニーズ と、
自分たちの認知の歪みに自分たちで書き合いながら気付き、それこそ言語化 して共有し、客観視し合って確認し、みんなで矯正し合っていく段階でしたい対話の ニーズ が、

埋められないくらい、すれ違っていたのですが、

無料ブログは、自由にコメントできるものしか、まだ私たちは知らなかった。

だから制限を掛けられなかったということだと想像しています。

小さな個人ブログに匿名で書き込むことで、『個人的な記憶の反すうを書き続けていた人』個人をいじめていた人がめでたく個人特定されて、どこかの情け深い人が代わりに復讐して ケースに入れてどんぶらこどんぶらこ流して くれて、恨み晴らしてくれて、「ね、気が済んだ? あとはなにして欲しい?」とチヤホヤ聞いてくれる、そんな親切?をしてくれるわけがないのですけどね…。

個人無料ブログはデスノートじゃないんですが。



今日も『追記』に来ていただき、どうもありがとうございます

『前振り』なのに長くなって、ごめんなさい。ごめんなさい。



ご自分の反すうとの折り合いの付け方が分からない。

成功体験などなどいくつも足りなさ過ぎ。福祉の支援先を頼って体験積むべきですが、ちゃんと頼ったようでした。
福祉機関は仕事として褒めている職員たちがいるので、認められても偽物のような気がするかもしれませんが、成功 パターン は学べます。

支援先の受け入れ基準にもはまらないグレーゾーンと違って、すでに医療、福祉の助け舟に囲まれていたようでした。なーんだ。
あとは、どくとくな自閉の不満を ❝お友だちおしゃべりモード❞ じゃなくって、❝医療の相談用❞ に言語化 して、
発達外来のお医者に必死で話し、共感もらうだけじゃなくて、指導を受け、疑問の答えをもらい続けること。課題は実行し続けること。
反すう と、疑問 もごっちゃになるようだし、返してもらった 共感 と、 答え もごっちゃになるよう。
共感はすぐ忘れた としても ありがたい『答え』は忘れちゃいかん でしょ。お医者からの指導。うらやましいぐらいだよ。
忘れるから対話しても有意義になった気がしないし、被害認知が治らないままそのままになる。治らない沼から出たければ、区別 と、日本語が 成立した会話 必死にトレーニング しなさい。(もう言ってもしょうがないこと。)


話を戻しますが、

書き込み禁止とか、そんな措置は、ロムの側にとっても怖くて。

怖くて、怖くて、怖くてたまらなかった。

そんなこと無いむやみやたらに書き込み禁止はされるものじゃないよと、それまで見聞きしてきた経験からも、見当は付けられます。

でも、エンジョウしたらどうしよう、『荒らし』認定されたらどうしよう、他のロムの人たちから嫌われて怖がられたらどうしよう、が、ひたすらあったものでした。

私の頭の半分では「むやみに禁止されないよ」もう半分では「どうしようどうしよう」が、ずーっと。

「やーいRSD❗」と言われたらそれまでの話なんですけどね。

たぶんブログ主さんにとっても『書き込み禁止』処置は、とてつもない抵抗感があったのではないかと想像しています。

ブログ主さんにとって、ストレスだったと思います。
このままだと荒らされてしまうかも…でも禁止処置はしづらい…ブログを始めた目的がいつまでも達成されず停滞してしまうどうしよう……と。
疲れたと思います。

でも、無くなって欲しくはない。

勉強になるから、ブログは続いてて欲しい。

私は社会に適応しなくてはならないから、勉強しなくてはならないから。

社会適応をやめてはいけないから。

でも続け方が分からないから。分からないということが『身勝手』と言われたから。勉強しなくてはならないから。

勉強になるコメント読みたい。

私は、そのブログが終わるまで、ずっと “読みたがってた” だけの人でした。



一つ、引き合いになるお話を書きます。


ウィキペディアが、資金難で寄付を募っているのは知っています。

400円という少額なのも知っています。

でも、ポチッ👇たとして、どこの口座から落とされるのか、手数料など他にお幾ら落とされるのか、知らない。

口座、打ち込まされるのか、落ちないとしつこく怒られ💢るのか、知らない。

申し訳ないけれど、ウィキペディアのことはいまだ、傍観するだけです。


上に書いた、むかし読んでいたブログは、傍観のつもりはありませんでした。

心配しながら一生懸命に読んでました。

ブログと、ウィキペディアは、明らかに私の中の真剣度は違っていました。

それでもブログは終わってしまいました。残念でした。がっくりきました


こうして思い返すだけでも、自分がなんの知識が無いのか、

なにに怯えるのか、なにをリスクだと考えているのか、どんな価値観を持っているのか、

ご自分を分析ならできますよ。



もう一つ。私が無責任な思考をしていた話。


もし関係者の方がここに来てくださっていたら、へこませてしまうかもしれません。ごめんなさい。

私のいる某都道府県には、新幹線工事がされています

工事着工されるまでは、私はどっちでもいい派でした。

新幹線の独特な線路が伸びてくる経路の地域で、多額の予算を掛けて工事するとか、幅を拡張するときにそこの土地を持っている人に交渉するとか、
地震や台風災害でローカルの線路があーなってこーなってる地方の人たちの ❝足❞ をまだ復興しないのかとか、
そんな事情をニュースで聞くと、ただの好奇心で「賛成」言う気にもなれませんでした。

だれとも「角」立てたくない。対立みたいなことしたくない。優柔不断な凡人。後付けで、決まったことにフラフラと付いていくだけ。

工事着工されて、後戻りできなくなってから、多少楽しみになってきました。
駅のデパートも改築中です。どんなお店ができてどんな新しい景色が見れるのかも楽しみです 何年後なのでしょう?


こういう人間は、インフルエンサー界隈では、先を走っている人たちからかなり不快感を持たれるものらしいです。後から付いてくるだけ。自分でポチ数を掴んでいない。イライラするものらしいです。

インフルエンサーの業界の人たちはね。

私は違うもん


先を走っている人たちは、頭がいいから先が見えてるんですよね。そこに突進していく。

私、先のことなんて分かりません。

新幹線の次はリニアモーターカーが来るのかな? 私、退職後かな? そのころは人間らしい生活できてんのかな? 体、どうなんだろ?
その前に、新幹線が通る経路の地域でなにかが壊れているらしいけど、自然災害は毎年来るものだけど、いつ、どうにかなるのかな?

……こんな調子です。

「野良オバサンおまえいつ自分の意見持つんだよぅ💥👊」と思われる価値があるくらい、グズグズします。

そういうものなのです。これが ❝凡人❞ ですねー。

だから、グズグズしてしまう人のお気持ちも、私なりにお察しできます。

新幹線は、私の人生を大きく左右するものではありません。私はそこまでは頭をいっぱいにはしていません。


『発達障害』『グレーゾーン』問題はどうですか?

ここに来てくださっている貴方さまにとって、人生を左右しない、辛くしない、困らせない軽~い問題なのでしょうか?

そういうことを考えて、私は関わるコンテンツを選ぶことあります。他、ただの興味でタップすることもありますが。



世の中、コメントを『書く』ことに中毒になる人もいます。
とくに配信者界隈は主さんなどに認知されたくて、スパチャ課金という確実に読まれる手段を使い、
配信者の主さんをコントロールできるので個人的なつながりまでできたような錯覚に浸りながら『書く』ことに沼る人がいます。子どもにもいます。
健全なこととは思いません。

いっぽう、こうして社会的に虐げられる立場になろうとしてても、無関心ではなくて、『遠慮』や『委縮』が強くて書けない、という層の人たちもいます。

解決策や、こうしたらみんなが困らなくて健全になるよ👌、という最善の方向性は、まだ分かりません。

私、思いつきません。


ご自分のSNSもしながら、自己分析、自己理解もしながら、

できたらここもこれからも訪問し続けてもらえたら、嬉しい


  

『永遠の『宿題』の提出』の仕方について考えたとき。

『永遠の『宿題』の提出』は、

・そこでしなければならない労働、学業をマナーや規則を守ってやり遂げてしまうこと。
・その場にいる老若男女たちが、自分がしたやり方で、許してくれる気分になるかどうか。特性や弱点がたとえあっても、承認してお仲間に入れて、雑談をみんながしていたら、同じように雑談に入れてあげようとしたくなるか。してくれるか。お菓子がみんなに配られるとき、快く配ってもらえるか。自分の理想通りじゃなくてみんなと同様に、遊びに誘われるか。かばってもらえるか。所属する場の老若男女の価値観どおりに自分が従い、言動できているかどうか。

などで構成されている。

つまりは、自分主導じゃなくて、周囲に従って、周囲の理想の、都合良い、役に立つ人間に無理して擬態する『宿題』であります。「従わなきゃ」と。基本、考え続けますね。

しかし、❝従ってあげる❞ ことが、必ずしも正解で無い対象がいると考えます。

子どもです。

人格や尊厳はベストを尽くして尊重されることが前提ですよ。

大切なことなので繰り返しますが、

人格や尊厳はベストを尽くして尊重されることが前提ですよ。



私も人生これだけ生きていると、お出掛けや親戚の場で子どもさんを観察できるのですが、

ざっくり言うと10歳以前は、なにを言いたいのか正確にはよく分からんですね。

「どっちが欲しい?」「(一番嬉しかったもの)なに見てきたの?」など、子ども本人の認知のキャパシティ? 目に入るもの? に合わせて聞いたことには答えられますが、

本当は今すぐ叶えたい欲求はなんなのかとか、どんな価値観で考えてるのかとか、どんな大人に可愛がってもらうのが理想なのかとか、ヒーローなのかとか、

そんなの、察してあげられたとしても、すぐ叶えてあげるのか? それが最善なのか? は、分からないでしょ。


昼食後の、明るくて、暑くて、いい天気で、遊ばないともったいない時間帯の話なのか、

それとも夕方17時とか、親御さんがもう帰り支度したくて、自宅へ帰してあげないと夕食🍚の準備も風呂に入れるのも遅くなって大変だ、という時間帯の話なのか、

にもよるでしょ。

ノッてあげるのがいいのか、やんわりと切り上げてあげるのがいいのか。


子ども本人にとって、妄想していた理想の「オバサン」が、もしも。もしもだけど、綾瀬は◎かさんのような、優しそうでカッコ良い美しいお姉さんだったとしても。
実態は、ぽっちゃりして頭は白髪とアホ毛ぼさぼさの、野良レモンオバサンだったとしたら。

現実を了解して、飲み込むことも、その子の学びっていうか、試練だったりする。

だって現実は現実だもの。

がっかりされても、それ以上のことはせず、一般的な会話、子どもに合わせた会話をしてあげるしかない。

※がっかりさせるのがイヤならね、乳幼児のときから会い続けるっていう方法はあるのよ。ちゃんと見慣れてくれる。コ〇ナ禍が終わったから可能になるはず。お土産持って、アポ取って、出掛けて行くやる気があるならね。


だいたいね、自分で自分の気持ちも、要求も、よく分かっちゃいなかったりする。私もそんな子だった。
我に帰ったら『早くお家へ帰りたい。テレビ見たい』と思うのに、アイス出されたらすべてを忘れて食べていたし、『イトー〇ーカドーに寄ってくれるかな』とか、取っ散らかった考え事もして、お手洗い🚻を忘れて……。


「従わなきゃ」で、頭をいっぱいにしたら、不可能なことばかりが出てくる。

一般的で、平凡なことなら、期待どおりにいかなかったことでも、別に深ーくトラウマになるような傷つき方をするわけでもないよ。

代わりの場や、遊びや、選択肢を出してあげることで、その子の気持ちを含めた状況は、コントロールできる。やりようはあるよ。

子ども自身に解決能力が無い困りごとを、どう、予定変更してあげるか。予定変更を勧めてあげるか。

それは大人がアイデアを出してあげる。

もう夜だからとか、雨が降り出したから大降り⚡になる前にもう帰らないととか、

そういう、人間が動かせないものが理由の場合は、大人側から、次の考え方を提供する。「またお盆に会おうね。」「今度はわたしから会いに行っていいかい?」

それは、子どもに逆らうことではないし、圧を掛けることでも、ましてや罪悪感を持つことでもなんでもない。

私たち大人の発達障害当事者、大人のグレーゾーン当事者たちは、自分が子どものときから、自分にちょうど良くない負荷を掛けられ過ぎた。
いじめられて、上手くいかなさ過ぎた。

だから過剰な感じ方をしがちだけども、真相は、違うのよ。

子どもさんにだけは、

子どもさんのために、

別にしてあげる。『宿題』は無い。『提出』しなくていい。

強い注意は親御さんがする(のが常識)ので、そうじゃない大人は、空気のように聞こえていないていを装ってあげればいい。

『空気』になってあげる。それが距離感。きっと間違ってない。


『永遠の『宿題』の提出』が適用されないお相手。子ども。


私は、こんな扱いが難しいテーマをあんまり積極的に書きたくない。けれど、なんで考えてしまったか。

時事ネタニュースは、見たくも、構いたくもないけれど、

大人に強く注意されることもなく、結局は守られてきて、あり得ない犯罪をしてしまう若者が最近出てきてるから。書きたくもない。目も当てられない。あり得ない。
でも現実に。


私たちは、そばに『人』がいるだけで、自動的に脊髄反射的に、「従わなきゃ」。❝なにに従うか❞ を気にして、見逃さないように身構えてしまうけれど、

子どもだけは、

そこじゃないところにチャンネルを合わせてあげるものなのよ…。


ひたすら許して肯定してあげるだけだと……

世の中が、インターネットが、せっかく数少ない子どもを持った親御さんに、

「許して尊重してあげなさい」「しつけは親の責任!」「子どもってね神聖なのよ💓 だからSNSにあげてるから誉めてね」「危険な場所行ったら迷惑💢 夜遊び迷惑💢 トー横出禁💢」「人権はなにより大事なんだよ? 主体的に考えて自由に動くものよ! でも37.4℃はもう自宅静養なの!」「子持ち様が休む」とかとかひっちゃかめっちゃかな圧を掛けて、

子どもに行動を制限できない社会になって、そのまま成人年齢になって、放置されて……。

社会に住んでいる私たち、先に大人になった大人たちも、ひたすら許して、見逃してあげるしか知らなくなる。

だって、オラオラして威嚇されたら、関わらないであげる風潮になって来てるでしょ。

威嚇する歳になってからなら、大人からはなにも言うべきこと、するべきことが、無くなってしまったもの。せいぜい通報するくらいしか。

手遅れということ。

なら、子どものときに、

大人たちが、

大人たちから、

寄り添ったり、褒めたり、同調したり、共感したり、『空気』の距離感取ったり、ちょうど良い距離感で囲んであげることなら、してあげられるでしょ?

伝わりましたか?

難しかった


  

発達障害GZ Noralemon見た後のリスト 更新してます

リストと、表題の中の説明文、平日もたまに更新してます。曜日は決めてません。

※説明文の見方~リンクを開いたときに、ミックスリストの一番上に置いてある動画のサムネイル画面が大きく出ています。
 その下には『発達障害GZ・Lemon nora見た後のリスト』と、ミックスリストの名称、
 その下には小さめの字で『lemon Nora』、その下には『公開∨』設定が出ています。
 その下には『〇本の動画 〇回視聴 〇〇更新』で、その日、その時点でのリスト管理の情報などがあります。
 次、下には矢印で共有ボタン、縦の三点リーダー。共有ボタンでSNSにリンクが貼れるもののようですね。
 その下最後には『すべて再生・シャッフル』の、お好みで使えるボタン。お好みでどうぞ。個人の表示にだけ反映されるから、メインのリストの並びには影響無いのではないでしょうか。
 その下にやっと、自己紹介や、動画の説明文が出てきます。
スマホには『もっと見る』ボタンも出てくるので、押したら読めます。

※『すべて再生・シャッフル』をクリックしても、必ず全部見なくてはならないわけではありません。お好きなところで打ち切って良い機能です。あくまで、個人的なお勧めの詰め合わせ がミックスリストの使い方のようですから。
 各個人のパソコン・スマホのユーチューブのリコメンド(お勧め)の中には、たいてい、ユーチューブ機器が勝手に作ってきたミックスリストも混ざってくることがあります。使い慣れない方は、それを開いていろいろいじってみたら慣れてきて安心できるのではないでしょうか。

posted by Noralemon at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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